少々長い文章ですが、当院の成り立ちにお付き合い頂ければ幸いです。
健康な体に生み育ててくれた母に心から感謝いたします。
激闘!青春時代
私がこの仕事に就くきっかけは、陸自で青春時代を送ったことにあります。
高校時代は、男子800m走で福島県代表になるなど、それなりに頑張った3年間でした。卒業後もスポーツに係わる仕事がしたい!!と思った私は、先輩の勧めで実業団選手になるため地元部隊を志願。しかし、どうせお国の為に尽くすなら!と思い、全国選抜のエリート部隊である⇨第1空挺団(習志野駐屯地)を志願しました。ところが、、18歳で、初めての都会で見たものは!!、迎えに来た高機動車の一団と本当に怖い上官達でした。「ああ、僕の人生は終わったな、」と思ったことを昨日のように覚えています。⇨訓練はこんな感じです
※第1空挺団の着隊式・・体力検定特級を評価され学生隊代表として指揮しました。
着隊後は、結局実力不足にて実業団選手にはなれず、走るどころか歩伏前進の日々(笑^ー^/)。なぜなら箱根駅伝で活躍した全国レベルの大卒選手が多数入隊!県代表程度の私ではまったく歯が立たず。そのかわり負傷兵救護にあたる私は、退任後は人様を助ける仕事に就きたい!と思うようになりました。そして、あこがれの医療従事者への道を目指し、お国に従事した4年間を任期満了にて退官。晴れて社会への復帰を目指します。
順風満帆!修行時代
私の頭でなれそうな国家資格を調べた結果、整骨院の先生がなんとか行けそうだと判明!私でも目標に向け頑張っていいんだ!と思った時の喜びは今でも忘れません。その後、両国にある⇨了徳寺学園医療専門学校に入学。
校長先生のご指導で江東区の整骨院に弟子入りし、勤労学生々活が始まります。趣味もなく彼女もいない私は、ただひたすら勉強に没頭する他ありません。その為か学年トップの成績で卒業!。学校では助教に登用され教務を担当、弟子入り先では祉恩整骨院を開業し、かけがいのない修行時代を送らせて頂きました。さらに、当時倍率10倍の教員試験にも一発合格。私の人生は、まさに順風満帆かと思われました・・・・
人生どん底!地元に帰ることに・・・
そんなある日、「お母さんが倒れた!」との急報が、福島の妹から入ります。
忘れもしない東日本大震災の年の出来事です。
急いで帰ると、福島日赤病院のベッドに横たわる母は“脳に障害”を負ってしまい、これ以上の回復は見込めないと担当医は言います。妹2人はすでに嫁いでいる為、親を介護できるのは長男の私だけ!?。母の介護のため10年ぶりの地元で、ゼロからのスタートを切ります。もちろん東京で積み上げた仕事はすべてご破算。そして、いつまでも病院に母の世話を見て頂くわけにもいきません。支援頂ける介護施設を探しに市内奔走する日々がスタートです!。しかし母の退院日は刻一刻と迫る中、どこの介護施設も何十人待ち。おまけに私は無職で貯金も底をつきそうです。「とうとう、親子ともども終わりか・・!」と思いつつ、様々な方に土下座をしては断られ世間の厳しさを実感します。福島の冬がこんなにも寒かったとは!!、ダメもとのどん底人生はまだまだ続きます。
九死に一生!?で教員時代
先の見えない市内奔走数か月目、急に携帯に連絡が入ります。それは母の介護受け入れ先が決まった!とのお話!、人目もはばからず男泣きです。忘れもしない福島駅の改札前でした。新設の介護施設に奇跡的に選んでもらえました!。体の不自由な母が、きれいな介護ホームで何不自由なく暮らせているのは、本当にいつも助けてくれた妹達と叔父さん叔母さんのお陰です。(><)。。。
そして、こんな私を心配して下さる上司のご指導で母校に入職。恥ずかしながら東京に戻って参りました。図らずも講師に就任し、週2の徹夜で授業準備をしつつ、多くの学生さん達のご指導に携わります。学会発表や整形外科での非常勤、様々な経験をさせていただく中で最も感慨深い経験がありました!。それは、陸上部の立ち上げや、高体連の公式トレーナーなど、陸上競技に関わる仕事をさせて頂いたことです。思えば青春時代の夢が、30過ぎのオジサンになって叶うこともあるのだなと、しみじみと感慨に思った次第です。
今はなんとか生きています!
2014年 母の介護費用を考え開業を決意。退職にあたり半年がかりで上司を説得し許可を頂きます。そして、両国で勤めていたこともあり隣駅の錦糸町で開業させて頂きました。
当院は、地域No.1清潔空間治療院を目指し、必要としてくださる皆様のために頑張ります!それが、お世話になった方々への恩返しになると信じています。
2017年 当院を支えてくれた男子スタッフ達が、国家試験合格を機に順次卒業。皆様に大変かわいがって頂いた彼らは、お陰様で今は責任ある立場として各地で活躍中。今はお互い助け合える生涯の仲間です。
上原先生・・・・⇨バランス整体院大泉学園
長谷川先生・・・⇨バランス整骨院中原(副院長)
2019年 ご縁ある専門学校から教員不足にてオファーを頂き、久々に授業を担当することになりました。今どきの若い学生さん達との係わりは本当に大変です。しかし、今だからこそ、育てて頂いた業界や地域医療への貢献と思いお役目を全うしたいと思います。
当院は⇨「地域ダントツNo.1治療院」であり、いつも通って下さる来院者様のために頑張ります。
他院では受けられない業界最高レベルの治療技術と、気持ちに寄り添うカウンセリング(SAT法)を大切にしています。
長々とした文章、お読み頂きありがとうございます。
次はあなた様のマイストーリーをお聞かせ下さい。
よつめ通り整骨院 佐藤典寿